西行法師ゆかりの寺 弘川寺(その1)

大阪府南河内郡河南町に弘川寺という寺があります。
桜の名所として名高く、西行法師が入寂されたのがこの寺であったということでも有名です。
「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」
(願うことなら、満開の花の下で死にたいものだ、お釈迦様が入滅された二月の満月のころに)
こんな感じの意味でしょうかね。
旧暦の二月というと今の3月下旬でしょうから、桜ですよね。
この歌は辞世の歌ではないようですが、西行法師の願いであったでしょうね。

この西行法師が自分の最期の地として選んだのが弘川寺です。
この弘川寺には何度か行ったのですが、2008年のときのことを以前の自分のサイトに
書いていたので、これをここに加筆して転載しておきます。
といって、西行法師についてそんなに詳しいわけでもないんですけど・・・。
ただ、ちょっとびっくりしたことがあったんです。
そのことを書いておきたいのです。長くなるので、2回に分けます。

hirokawa
弘川寺境内です。すごくきれいに掃き清められていて、ご住職のお人柄が感じられます。

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小さな寺なのですが、落ち着いたいい雰囲気の境内です。

弘川寺がどういう寺であるかは、寺の入口に掲げられている立て札をみるとわかります。
以下、その内容を書き写しました。

『史跡 弘川寺境内
弘川寺は天智天皇4年(665)役行者の草創にかかり、天武天皇白鳳5年(677)勅命あって当寺に請雨を祈り、験著しかったので、龍池山弘川寺の寺号を賜り勅願寺となる。
天平9年(737)に行基がここで練行、また弘仁年間には弘法大師が嵯峨天皇の命により中興された。
歌聖西行は晩年当寺の座主空寂上人の法徳を慕って来られ、文治6年(1190)2月16日ここで入寂す。
その後南北朝時代には楠木氏の戦場となり、また戦国時代には河内国の守護畠山政長はこの寺に陣し、弟義就これを攻めて寛正4年(1463)4月15日堂塔ことごとく焼失した。
西行法師を慕うこと深く今西行と呼ばれた歌僧似雲法師は、享保17年(1733)当寺境内にその墳墓を発見し、墓域に草庵を結んで隠棲した。
遺言により当寺境内の西行墳の傍らに葬られた。
昭和13年5月11日大阪府古文化記念物保存顕彰規則により、史蹟として指定
大阪府教育委員会』

この寺は、山に続いているのです。境内の奥にある階段を上ります。

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階段をのぼると、広い場所に出ます。

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hirokawa18西行法師のお墓です。

 

hirokawa05似雲法師のお墓です。

更にのぼります。

hirokawa08似雲法師の住まれた草庵の跡です。

更にすすみますと、

hirokawa12西行法師の住まれた草庵の跡です。

奥の立て札がこれです。

hirokawa11

haruhiro007僕が行ったときは、すでに桜は散ったあとでした。


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