碑文を調べてびっくり・・・弘川寺(その2)

この弘川寺の境内の奥まったところの少し高くなったところのお堂のそばに碑が建っていて、

それについて以前書いていたので、ここに再掲します。

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2008年3月29日、1年ぶりに弘川寺に行ってきました。
桜の咲き具合を見るためですが、まだ咲いていませんでした。

西行堂の西側に西行さんの歌碑が建てられています。

hiro01(碑の文)—————————————————————–

西行上人東国行脚之詠

年たけて又越ゆへしとおもひきや いのちなりけり さやの中山

日本芸術院会員 川田順 謹書

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『年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山』 西行法師

(年をとってからまた越えることになると(若いころに)思っただろうか、いや思わなかった。
命があるからだなあ。この静岡県掛川市の小夜の中山越えは)

西行は、30歳のときと、69歳のときの2回陸奥に旅立っているようです。
30歳のころ、源頼朝が生まれています。1147年です。
西行と平清盛は同い年だそうです。(知らなかった)
2度目の陸奥行きは、69歳1186年。「年たけて~」の歌はこのときに詠まれたものです。
新古今和歌集では、詞書に「東の方に罷りけるによみ侍りける」とあります。
山家集では、「あづまの方へ相知りたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの
昔になりたるける思ひ出でられて」とあります。

 

さて、この歌碑を書いた「川田順」という人についてですが、
ネットでいろいろ検索してみて、すごい人だということがわかりました。
住友大阪本社で働いたのち、戦後、昭和天皇の皇太子時代の歌の指導もされていた人です。
この人が昭和22年66歳のとき、鈴鹿俊子さん(38歳)と不倫の関係になり、翌年23年自殺未遂。
昭和24年俊子さんと結婚。昭和41年、84歳で死去。

 

自殺未遂をしたこともあって、マスコミの知るところとなり、「老いらくの恋」として話題になったようです。
66歳で40歳弱の人と恋をするというのは、正直「すごい」と思います。
「つきあってください」と告白するのもすごいが、「はい」と承諾するのも、すごい。
それで、自殺をするまでに思い詰めるというのもすごい。まじめな人だったんだなあと思います。

 

この人が、「命あること」の思いを歌った西行さんの歌を、歌碑の書として書いた!
どんな思いで書かれたのでしょうね。

 

次が、この人の歌です。

 

樫の実のひとり者にて終らむと思へるときに君現はれぬ

 

若き日の恋は、はにかみて
おもて赤らめ、壮子時の
四十歳の恋は、世の中に
かれこれ心配れども、
墓場に近き老いらくの
恋は、怖るる何ものもなし。 (「恋の重荷」序)

 

たまきはる命うれしもこれの世に再び生きて君が声を聴く

 

何一つ成し遂げざりしわれながら君を思ふはつひに貫く

 

鈴鹿俊子さんは、次の歌を残しています。

 

はしたなき世の人言をくやしとも悲しとも思へしかも悔いなく  俊子

 

俊子さんは、2006年96歳で逝去されています。

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お寺に行ったり、名所旧跡に行ったりして、碑を目にすることがよくありますが、立ち止まってその碑文をじっくり読むことってなかなかありません。

このときは、たまたまじっくり見たわけです。それで新しいことを知り、ある人の生き方を知ったわけです。

とても印象深いできごとだったので、このブログに再掲して、記憶にとどめることとします。

 

余談ですが、西行法師について検索していたら、ものすごいサイトを見つけてしまいました。

digital 西行庵

畏怖します。ものすごいなあと感心してしまいました。この人の関心の深さ広さは半端じゃないなあ。


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